20歳の誕生日を迎えると同時に首を吊りたい
主は、ついこの間19歳を迎え、来年で20歳を迎えます。
何だかタイムリミットが迫ってきたなという感じです。
もしも、20歳までに安定した職に付けず、死にたい気持ちから逃れることができなければ、首を吊ると決めています。
私にとっての20歳は、立派な大人ですし、学生でも何でもない私にとって、20歳になるということは、かなり重要なことなのです。
このままの状態で大人になることは許し難いんですよね。決して周りから許されないわけではないんですが、そういう自分を自分が許せないんですよ。
お恥ずかしいことに、今まで友達や家族、色んな人に頼ってきてしまいました。
ですが、もうこれ以上、人を頼ってばかりの自分でいたくないんです。
本当は、早く家を出て自立したい気持ちでいっぱいなんです。挑戦したいこと、やりたいこと沢山あります。
なのに、何かを始めようと思うと、自分のボロボロな精神が邪魔をするんですね。
“どうせまた失敗して死にたくなるだけ”
必ずその言葉が襲ってきて、私を洗脳します。
だけど、本当に今まで失敗を繰り返してきた人間なので、これ以上失敗を積み重ねてしまうと、本当に危険なんですね。
まぁ実際いつ死んでもいい精神なんですが。
考えたくもない死について考えてしまう度に、どっと疲れてしまうんです。
本当は、ちゃんと息をしていたいのに、そうさせないのが自分の精神なんです。これ以上の息苦しさを我慢することなんて、私には到底不可能です。
だからこそ、何かに挑戦しようと思った時に、一歩踏み出す勇気が出ないんですね。
正直今まで早く死ぬことばっか考えてて、中学生の時なんて一番狂っていた時期で、本気で死ぬことばっかり考えていました。今でもそれは変わらないみたいですね。
そんなことばっか考えてる毎日なんて、生きてて楽しいわけがないじゃないですか。
楽しいことを考えてたって、結局しつこく“死”は付き纏ってくるんです。死というものに取り憑かれてるんです。(笑)
毎日がつまらないなら、自分が面白い人間になればいいじゃないか?とかよく言いますけど、それが簡単にできたら苦労しませんよね。
誰もお前を見てないし、人目なんて気にするな!って言われたって、気にしないようになるわけがないですし。何事もポジティブに考えられるような人が羨ましいですね。
“20歳になったら、何かが変わるのかもしれない”
少しだけそう信じている自分がいます。だけど実際、根本的な部分が変わらないと意味が無いし、この先も結局同じことが起こってしまうと思うんです。
変わるとすれば、この世から消える勇気が出てくることくらいしか思い浮かばないですね。
自分の性格は、そう簡単に変えることはできないし、豆腐よりも砕けやすいであろう自分のメンタルを、果たして石に変えられるのかと言われれば、きっとそれは、相当難しい話なんですよね。
この先もそんな自分がこの世で生きていくことなんて、苦痛でしかないんですよ。
だから、20歳の誕生日に首を吊ると決めました。
理想の老後は、“孤独死”できる環境
今週のお題「理想の老後」
主は、いずれ自分が誰かから介護をされるくらいなら、早く死んだ方がマシだと思うので、歳を取る前にさっさと死ぬって決めています(笑)
まぁそれだと話は違ってきますから、もし老後まで生き抜くことができたとしても、私は絶対に周りに人がいない状態で死を迎えたいですね。
もちろん家族からも離れて、老人ホームにも入居せず、どこか遠くへ行き、ひっそりと暮らし、誰にも迷惑をかけずに、ぽっくり♪が理想ですね。
それまでは、できる限り大切な人を作らないように心掛けて、孤独を維持していきたいですね。
そんなの虚しいだけじゃないか?と思う人は、いると思いますけど、私にとったらプレッシャーの無い生活こそが理想ですし、自由を手に入れることが目標でもあります。
結婚や子育てが幸せの絶頂だと思える人は、それはそれで良いと思いますし、幸せの価値観って人それぞれ違うのは当たり前ですからね。
もちろん自分の子供が欲しい気持ちは無くはないですが、子供ができてしまうと子供を優先的に考えなければいけなくなりますし、自分のことを考える余裕というものを失ってしまいそうで怖いんですよね。
それこそ、生き地獄じゃないのかと思ってしまいます。
自分に甘いのかもしれないですが、今を生きる為には、自分で自分を受け入れるしか方法が無いのです。
仕事に行く前の憂鬱感ったらありゃしない
引きこもりの私でも、週に2〜3日くらい仕事に出ることがあります。
でも仕事に行く前の死にたさって尋常じゃないんですよ。(笑)
何でこんなわざわざ痛めつけられに行かなきゃいけないんだろうって思うんですよ。
だったら一生引きこもってろって話なんですけど、そうもいかないじゃないですか。
流石に家に一生いるなんて、そんな恥ずかしいことできませんね。
まぁ中には、そういう恥を知らない人もいると思うんですけど、逆に羨ましいです。あまり気にすることがないんだろうなって思うので。
それに、一生家にいなきゃいけない理由も、私には無いからです。小さい頃から家は貧乏ですし、今では両親から金を要求されるくらいですから。
ちなみに主は、成人ではないですが、学生でもないので、働かなきゃいけないんですよね。
だからこそプレッシャーというか、昔から人目を気にしてしまう癖があるので、それがもう本当に自分にとっての一番のストレスですね。
そして仕事に行く時に使わなきゃいけない電車が、本当に大の苦手です。
まだ友達と一緒の時はマシなんですが、一人の時とかは、変な汗をかいたり動悸が激しくなったり手足が震えたりします。
普段から人混みの中にいると、そんな感じです。だからこの世界では、私みたいな人間は生きづらいんです。
やっぱ、死ぬしかなくない?
人が死ぬ時って?それは、限界を超えた瞬間かも
「死にたい」
嫌になるくらい毎日のようにその言葉が頭を過ぎる。
それだけでなく、不覚にもボソッと口に出してしまうこともある。
どこを探しても生きる意味は見つからないのに、死ぬ意味だけが次から次へと見つかってしまう。
道を歩いているだけなのに、電車に乗っているだけなのに、家で寛いでいるだけなのに
“あぁ、やっぱ死のっかな”──そんな風に。
そんなの、地獄でしかないよ。
いつ死んだっていいや。いつ殺されたっていい。
軽々しくそんなことを思う。
“人が死ぬ時って、どんな時だろう”
人が本当に死ぬ時って、きっと
死について考える暇も無いくらい
“一瞬”のことなんだろう。
だから私は、まだこうして生きているんだ。
眠るためのベッドがあるから
食べたい時に食べれるご飯があるから
遊びたい時に遊べる友達がいるから。
私は、まだ恵まれている方なのかもしれない。
それなのに、死にたい気持ちは一向に消えてはくれない。
この苦しみから、いつ解放されるのか分からない。
このまま何十年も生きていける自信が無い。
“どうしたら幸せになれるか”
その答えは、端から存在しない。
自分がどうしたら幸せになれるかなんて
正解に気付いていたら、まず死にたいなんて思わない。
果たして、今まで自分が幸せで満たされたことはあっただろうか。
きっと私は、昔からそう簡単に幸せで満たされることは無かった。
お金でもなく、愛でもなく…
自分にとっての幸せというものが、この世には存在しないのではないか?
結局、私が今一番望んでいることって
気付いたらこの世から消えていることなんだろう。
いざとなったら死ねるんだと思うと、少し楽になる。
だけど、それまでの時間に耐えられない。
周りの目やプレッシャーを感じながら生きていかなきゃいけない。
本当は、今すぐにでも死にたい。
とっくに限界は来ているのに、限界を超えるものが無いから、そう簡単に死ぬことはできない。
それが悔しくて悔しくて仕方が無い。
そうやって滝に打たれた状態を保つのは、息苦しいだけなのに。
つまらない。