遺書

誰にも言えないことだったり

人が死ぬ時って?それは、限界を超えた瞬間かも


「死にたい」


嫌になるくらい毎日のようにその言葉が頭を過ぎる。

それだけでなく、不覚にもボソッと口に出してしまうこともある。


どこを探しても生きる意味は見つからないのに、死ぬ意味だけが次から次へと見つかってしまう。


道を歩いているだけなのに、電車に乗っているだけなのに、家で寛いでいるだけなのに

“あぁ、やっぱ死のっかな”──そんな風に。


そんなの、地獄でしかないよ。


いつ死んだっていいや。いつ殺されたっていい。

軽々しくそんなことを思う。


“人が死ぬ時って、どんな時だろう”


人が本当に死ぬ時って、きっと

死について考える暇も無いくらい

“一瞬”のことなんだろう。


だから私は、まだこうして生きているんだ。


眠るためのベッドがあるから

食べたい時に食べれるご飯があるから

遊びたい時に遊べる友達がいるから。


私は、まだ恵まれている方なのかもしれない。

それなのに、死にたい気持ちは一向に消えてはくれない。

この苦しみから、いつ解放されるのか分からない。

このまま何十年も生きていける自信が無い。


“どうしたら幸せになれるか”


その答えは、端から存在しない。

自分がどうしたら幸せになれるかなんて

正解に気付いていたら、まず死にたいなんて思わない。

果たして、今まで自分が幸せで満たされたことはあっただろうか。

きっと私は、昔からそう簡単に幸せで満たされることは無かった。

お金でもなく、愛でもなく…

自分にとっての幸せというものが、この世には存在しないのではないか?


結局、私が今一番望んでいることって

気付いたらこの世から消えていることなんだろう。


いざとなったら死ねるんだと思うと、少し楽になる。

だけど、それまでの時間に耐えられない。

周りの目やプレッシャーを感じながら生きていかなきゃいけない。

本当は、今すぐにでも死にたい。

とっくに限界は来ているのに、限界を超えるものが無いから、そう簡単に死ぬことはできない。

それが悔しくて悔しくて仕方が無い。

そうやって滝に打たれた状態を保つのは、息苦しいだけなのに。


つまらない。